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☆★スレ立てる程ではないが話したい...雑談スレ第337章★☆
186 名前: ちゅらさん 投稿日: 2020/10/17(土) 12:06:32 ID:rn/faNvQ [ ntoknw012227.oknw.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp ]
越前出身で医師となったが、更に医術を高めるべく修行していたところ、
「南海の琉球国には唐渡りの優れた医術がある」と伝え聞き、
尚寧王の初年頃(1589年頃)琉球に渡航し琉球国那覇に居を構えた。
しかし当時の琉球では医術は遅れており、逆にその腕が認められ尚寧王の侍医に取り立てられた。

『球陽』の記述では、慶長14年(1609年)の薩摩島津による琉球侵略にあたって
首里城西櫓の防備に就き、法元弐右衛門の薩摩島津の部隊を撃退した。
和睦成立後、城を出て自宅に帰ろうとして歩いている途中、薩摩島津の部隊に捕らえられた。
「日本人がなぜ琉球に味方するのか」と問われ、「琉球に恩義があるからである」と返答した。
翌日、尚寧王は薩摩兵に賄賂を送って山崎を助命した。
人質として薩摩へ移送される尚寧王一行への同行を志願したが、琉球国で留守を守るよう諭された。

二休の三男、休意(1611年-1662年、名は守庸、唐名は葉自意)は
寛永14年(1637年)より3年間京都に留学し、寿徳庵玄由に師事した。
医師としての令名高く、慶安4年(1651年)には知行30石と屋敷を与えられた。
琉球国の医術は遅れていたために慶長18年(1613年)より薩摩島津の医師が派遣されていたが、
この年に休意の技量が薩摩藩にも認められ以後取りやめとなった。
同家は6代に渡り医師を輩出した。
http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/item6/4181
子孫に葉氏伊集家などがある。
https://nahashi.okinawa.med.or.jp/med_search/0988641188/

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