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呉市総合スレ★83
657 名前: 名無しなんじゃ 投稿日: 2019/05/15(水) 08:45:42 ID:K34p/J1Q [ softbank126224139029.bbtec.net ]
https://www.kaiho.mlit.go.jp/06kanku/kure/e_servise/e-5_hashi/kashimaoohashi.htm
鹿島の四方山話ですが、焼き鳥で名をはせた居酒屋の発祥の地であり広島、呉の「鳥」のつく焼鳥屋の
殆どは鹿島にゆかりがあるそうです。

https://lifemagazine.yahoo.co.jp/articles/199
昔から呉の焼き鳥店は、「とりや」と呼ばれていて、その数の多さが知られている。弟子入りや独立を繰り
返し、店名に「鳥」という文字が入る「とりや」は、今では呉で10店舗を超える。「とりや」創業店と言われる
同店は現在、みそだき発祥の店として全国に名を轟かせている。

http://hamada.air-nifty.com/raisan/2012/02/post-e2ec.html
呉の焼き鳥屋の始まりについては諸説あって、月刊「くれえばん」2002年10月号の特集『実を言うと呉市は
やき鳥シティだったのだ』によると倉橋・室尾(むろお)の長尾一良(ながお・かずよし)さんが、過去の中国
新聞の記事では倉橋・鹿島の上瀬稔(かみせ・みのる)さんが、それぞれその始まりとされていて、なにやら
食い違いがあるのです。そのあたりを「本家鳥好」店主の弘和さんに確認してみました。

658 名前: 名無しなんじゃ 投稿日: 2019/05/15(水) 08:49:42 ID:K34p/J1Q [ softbank126224139029.bbtec.net ]
http://hamada.air-nifty.com/raisan/2016/08/post-e681.html
『古き良き時代の呉の焼き鳥屋』とは何なのか。
すごく単純なことなんだけど、「焼き鳥に専念してる」というのがその答えだ。
呉(倉橋の室尾)出身の長尾一良さんが、呉の「鳥好」(現在の「本家鳥好」)を開店したのは、昭和26(1951)年のこと。
長尾さんは、戦時中に働きに出ていた大阪で焼き鳥と出会い、戦後、呉に戻って焼き鳥屋を開いたのだった。
その焼き鳥屋が、行列ができるほどの大人気店となり、次々にのれん分けした店舗が広がっていったのだった。
それらの店が「鳥八」「三とり」「鳥晃」などなどと、「鳥」や「とり」が入った店名だったことから、これらを
総称して『とり屋』と呼ぶようになったのだった。
そんな呉の『とり屋』が転機を迎えたのは、昭和50年ごろのこと。
大手居酒屋チェーン店が、呉にも進出してきたのである。
これ以降、それら大手居酒屋チェーン店に負けないように、呉の『とり屋』の多くに生簀いけすが設置され、
瀬戸内海の新鮮な魚介類などもメニューに並ぶようになったのだった。

659 名前: 名無しなんじゃ 投稿日: 2019/05/15(水) 08:53:31 ID:K34p/J1Q [ softbank126224139029.bbtec.net ]
そして、忘れてはならないのが、だんご(2本1皿300円)と串カツ(3本1皿380円)だ。
だんごというのは“つくね”のことだんだけど、ここのは揚げてソースをかけているのが大きな特徴。
これは呉の「本家鳥好」も同じ。というか、「本家鳥好」が元祖だ。
「本家鳥好」の焼き台は、工夫好きな2代目店主・上瀬弘和さんが若かりし頃(昭和35年頃)に独自に
考案したもので、上下から一気に焼き上げることができる。
普通の焼き鳥はこの焼き台を使うことで短時間で焼けるのだが、つくねの場合はこの高火力が災いして、
表面がいい感じで焼けても、中がレアになってしまうのだ。
そこで、だんごだけはフライヤーを使って揚げることで、焦がさずに、中までじっくりと火を通すことが
できるようにしたというのが、「鳥好」ならではのだんごの始まりだ。
カリッとした表面の食感が実にいいのである。
串カツも「本家鳥好」と同じで、焼き鳥用に串刺しにした鶏肉をカツにしたもの。呉には、この鶏串に衣を
つけて天ぷらにして出してくれる店もある。

660 名前: 名無しなんじゃ 投稿日: 2019/05/15(水) 08:56:45 ID:K34p/J1Q [ softbank126224139029.bbtec.net ]
http://hamada.air-nifty.com/raisan/2015/05/post-d130.html
呉で初めての焼鳥店は、すぐに市民の間でも大人気となり、1日に1,000本もの焼き鳥が出るほどの大繁盛店となった。
当初はそうやって焼き鳥を中心に営業をしていた『とり屋』グループだったが、昭和50年代に転機がやってきた。
「養老乃瀧(ようろうのたき)」をはじめとする大衆居酒屋チェーン店が、呉にも進出してきたのである。
そして当然のように、それらの居酒屋のメニューには、刺身が並んでいたし、もともと魚好きの呉っこ
たちも、その刺身に飛びついた。
「えっ? 居酒屋でも、刺身が売れるんだ!」
呉で居酒屋を営んでいた人たちの目からウロコが落ちた瞬間だった。
魚介類が豊富にとれる呉では、魚は自宅でさばいて食べるもの。高級な料亭などはいざ知らず、大衆的な
飲食店で調理して出してもらうようなものではなかった。
そんな常識の壁を、大衆居酒屋チェーン店がコロッと打ち破ってくれたのである。
そうとなれば話は簡単。なにしろ『とり屋』グループの経営者たちは、漁師町・鹿島の出身者ばかり。
魚はそれこそ、売るほどあるのだ。

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